アキ兄の苦悩


「今月の給付金です。御神螺子のご加護がありますように」


 手渡された封筒の中身は、確認しなくてもわかる程度の厚みのない札束。

 こんなはした金で数十人の子供を養えるほど、この世の中は優しくない。

 それでも俺はこいつらに向かって笑って頭を垂れるしかないのだから、世の中は理不尽にできている。

「ありがとうございます。御神螺子の慈悲に感謝を」

 決まり文句となった礼を述べれば、塔から派遣されてきた『ネジを持つ者』は満足げに頷いて、その場から去っていった。

 暗闇の中を難なく歩く鈍色の肌の存在は、俺にとっては異質に映って仕方ない。

(お慈悲だけじゃ、世の中は生きていけねぇっての)

 悪態をついても誰も助けてはくれないので、この札束を数えて溜飲を下げるしかなかった。

 ため息一つついて、孤児院の玄関を閉じる。

 何はともあれ、この封筒の中身の正しい数を把握するのが俺の優先事項である。

 俺の名前はアキ。歳は十八。

 このマガリ孤児院の院長代理をしている。代理と言っても、誰かから指名されてやっているわけではない。年功序列といおうか、必然的に俺がやるしかなかったから、やっているのだ。

 ここはダウンタウンにほど近い居住区の外殻そばに立つ孤児院だ。ボロボロのコンクリートブロックの密集地隊。中央からかなり離れているので明かりは少なく、路地は入り組んでいて迷路のように複雑だ。土地勘のないやつは一瞬で迷子になるような、そんな辺鄙なところに建っている。

治安はダウンタウンよりはマシだが、毛が生えた程度の差だ。なにせ、この世界は外殻に近づけば近づくほど治安は悪くなるし、危険度も増す。(まあ、亀裂が生まれやすいからな)

 子供たちを育てるのに不向きな場所であるのは否めないが、今更そこを嘆く余裕もない、そんなしがない貧乏孤児院だった。


 玄関の扉を締め切り、扉に背を預けながら、いそいそと封筒の中身を取り出す。

「──ひー、ふー、みー……マジか」

 支給されたばかりの給付金を数えて愕然とした。

「先月より少ねぇじゃねぇか……」

 孤児院の院長が【シャングリラ】に連れていかれてからというもの、塔からの給付金は減らされる一方で、経営は悪化の一途を辿っている。家計は毎月火の車だった。

 せめて後任の院長がいれば俺が稼ぎに出られるのだが、塔は『速やかに手配する』なんて言ったきり、もう二年も放置している。何度か改善を訴えたが、「手配中だ」と告げられるだけで、何も変わりはしなかった。

 結局、お上は『ネジなし・ナットなし』の人間になんて興味はないし、そんな俺らが飢え死にしようが、野垂れ死にしようが知ったこっちゃない。

 つまりはやれるやつが頑張るしかないのだ。

(やっぱ俺も金払いのいい仕事を探すか……)

そんな策を考えるものの、子供たちの面倒を見ながら稼げる額なんてたかが知れている。

「あぁー、いっそ『いもむしねこ狩り』でもやるか……?」

 『光の森』に生息している謎の生物「いもむしねこ」は塔の管理下で大切に保護されている尊い生物だ。亀裂の修復素材の原料となる貴重な糸を吐き出すため、塔では人口的に飼育管理し、修復素材を安定的に生産している。「ネジ持ち」が蝶よ花よと尊ぶ生き物は、時として人間よりも格上として扱われている。

(やっぱ、理不尽っちゃ理不尽だよな)

 あいつらになんの恨みもないが、裏世界にいけば彼らの命一つで俺たちの生活が劇的に改善されるのだ。

 俺はいもむしねこがダウンタウンの闇市でものすごい高値で取引されているのを知っていた。どこぞのお偉いさんたちが嗜好のためだけに購入しているらしいという噂も。

 本来なら愛玩動物なんぞになり得ない存在だが、あのフォルムと肌触りに心を奪われる者は多いらしく、故に闇取引の格好の餌食になっているようだった。

(一匹売れれば一生安泰、だっけか?)

 ダウンタウンから流れてくる謳い文句なんて信じちゃいないが、それでもダウンタウンで見かけた奴らの値札の記憶が脳裏を掠めて惑わせてくる。あの値札には一瞬では数えきれない程のゼロが並んでいた。孤児院を経営している身でも見たことのない数字に、鳥肌が立ったのを覚えている。


(やっぱ、やるしか──)


 薄っぺらい封筒をくしゃりと握り締めて覚悟を決めようとした、その時だった。

「おい!」

 大声ともに背後にあった扉が勢いよく開かれる。外向きに開く構造のおかげで、俺の体はあっけなく地面に転がり落ちた。

「いってぇ」

 受け身もなく背中から地面に叩きつけられ、目の前に火花が散る。白んだのは一瞬で、見上げた空はいつもと変わらない闇色だった。その視界の中に巨体を曲げて覗き込んでくる大男の姿があった。たっぷりと蓄えたヒゲが特徴的な、縦にも横にも大きな男。

「アキ、なんつーあぶない話をしてるんだ」

 呆れた眼差しで見下ろしてくる彼には見覚えがあった。

「サーイさん」

 彼の名はサーイと言って光の森の番人をしている人間だ。いもむしねこになぜか愛されるという特殊能力(?)があって、その能力を買われて今の仕事に就いている人だ。

 もともとマガリ孤児院にいた人間なので、時折やってきては俺たちの様子を見に来てくれている貴重な大人だ。

「近くに誰もいなかったからよかったけどよ、ほんと、冗談でも気を付けろよな」

 ちらちらと周囲を見渡して、早く部屋の中に入れと促されるものの、こんな場所に警備隊の人間がうろつくわけがないので、のんびりと立ちあがる。

「大丈夫ですよ、誰も俺らに興味なんてもってないし」

 そもそも正義が近くにあるのだとしたら、この孤児院の経営を救ってくれるだろうにと思ってしまう。

「それでも、油断は禁物だ」

 大人ならではの忠告か。彼の言葉にうんざりしつつも頷いて、黙って孤児院に招き入れた。


「ほらよ、これ差し入れ」

 そういって、サーイさんは肩に掲げていた袋をこちらに渡してくる。

 ずっしりとした重みにハッとして、すぐさま中身を確認した。サーイさんは時折顔を見せに来るほか、ちょっとした差し入れも持ってきてくれることがある。モノは毎回違うが大体は食料で、畑から手に入れた見切り品だったり、売れずに余っているものをかき集めてきてくれたりと、貧乏孤児院の生活を支えてくれている。

 袋の中には、そろそろ買い出しにいかなければと思っていた穀物類がたくさん入っていた。

 あまりの有難さに、安堵で目頭が熱くなる。

「ありがとうございます……」

 俺の様子を見てか、サーイさんは少しだけ表情を曇らせた。

「今回はよっぽど枯渇してたのか?」

「当てにしてた中身が少なかったもんで……」

 そういって、手にしていた給付金の封筒を見せれば、彼はさらに表情を強張らせた。

「……院長、まだみつかってねぇんだな」

「ええ。支給の担当者にも聞いてみたんですけど、いつも通りでした」

 手配中ですの一言で終わらせ、そして給付金を手渡して去っていたあの担当者に非があるわけではないが、恨みがましく思ってしまうのは仕方ないだろう。

「俺が正規の院長だったら、給付金の額だって戻るんですかね」

 学もない小僧が何を言っているんだと笑われるかもしれないが、自分の力不足も痛感していて、悔しさは募る一方だ。

 新しい院長も手配してもらえず、給付金も減らされ、差し迫った状況に追い込まれて思いつく打開策といえば、いもむしねこの売買。

 己の情けなさに大きなため息が出てしまう。

「そう落ち込みすぎるなって。お上をフォローするわけじゃねぇけど、最近人手不足なのは確かみたいだぞ。亀裂が発生する頻度が増えてるだろ?」

「まあ、確かに最近よくみかけますね」

 外殻の側に住んでいるので、亀裂発生を目撃するのはままあることだったが、頻度で言えば昔と比べるべくもない。

 人が吸い込まれる事件も多発しているし、いよいよこの世界も終わりかと、終末論のようなものが巷に広がっているのも聞いている。

 壁の外は光であふれているが、吸い込まれてそこから帰った者はいない。死と同義である外世界への侵入は、この生活に嫌気がさしてしまえば魅力的に見えてしまうのかもしれない。

 まだ恐怖を感じられる自分の思考回路は正常らしい。

 切り替えて現実に向き合わねばならいと、頭を振ってサーイさんに向き直った、その時だった。


「あれ、サーイさん、背中……」


 サーイさんの肩越しに顔を覗かせていたのは白い物体。目が合った瞬間に背中側に引っ込んでしまったが、俺の目に狂いがなければ、まず間違いなくあの生物だった。

「ああー! また勝手についてきやがって!」

 背中に視線を向けたサーイは、大慌てでそこにいた生き物を掴む。

 「あの人に怒られちまうだろうが!」と半泣きで叫んだ彼の手には鳴き声一つ上げない白い物体が、もよん、と緩く収まっていた。

 軟体動物のような柔らかいそいつは、きょとんとした顔でまんまるな瞳をサーイに向けている。


(あれが、うわさの──)


 ちらりと脳裏を過るのは、ダウンタウンで見かけた、あの目を疑うような数字。

「あ、こら!」

 サーイの腕からぬるんと逃れたそいつは、ビューと勢いよく糸を吐き出して天井に糸を張る。そして振り子のように遠心力に導かれるまま、白い六つ足を広げて、俺の顔面めがけて飛んできた。

 顔面に迫りくる六つの白い足と白い腹。

 一瞬の出来事でよけることもかなわず、俺はそのまま顔でその生物を受け止めた……のだが。


「──ンンンンンッ」


 思わず変な声が出た。

 呼吸が苦しかったからではない。顔面に襲い来る想像を超えた感触に、脳の処理が追い付かなかっただけだ。

 つまり、それくらい上質な肌触りと触感をしていたのだ。

 まともに触れたのはこの時が初めてで、思わず両手でその存在を抱えてさらにその胴体に顔をうずめてしまう。

「──ッ」

 至高の触感。

 神のウブ毛。

 世界最高級のモフモフ。

 様々な言われようがあるが、一つだけわかったのはこの依存性の高さが、裏の世界での価格高騰を引き起こしているということ。

(これが……)

 もふもふもふもふ。

 触り続けるのをとめられず、堪能するように顔をうずめていると、ぬいっと、六つの足で顔面をけられる。(その感触すら夢心地だ)残念な気持ちになりながら、改めてそのつぶらな瞳と向き合う。

 感情の読めないその顔は、捉えようによっては慈悲深くも見えた。

「お前──」

 一匹だけで人生が変わるといわれている存在は、こんなにもあたたかくてやわらかい。

 至高の触感をもって、そいつは慰めるように俺の手を何度かさすった。

 じっと見つめる瞳に映る自分自身の表情のなんと情けないことか。

 目頭が熱くなるのを止められず、そのふわふわに再び顔を薄めてしまう。

 ぎゅっと抱きしめていると、騒ぎを聞きつけたらしい子供たちが奥の部屋からわらわらと大所帯でやってきた。


「あ、サーイだ! ひさしぶりー!!」

「今日はなにくれるの?」

「あ、アキ兄が持ってるの、いもねこちゃん?」

「いいなー! いもむー触りたい!」

「アキ兄ずるーい!」

「サーイ、僕にもいもむしもってきてよー!」


 子供らの純真無垢な反応を聞いて、ますますもって涙が出てくる。

 このピュアな反応を俺もしてみたかった。

 ぐすりと鼻をすすれば、それを聞きつけたサーイさんが訝し気に尋ねてくる。

「泣くほどのことか?」

「泣きますよ」

「そうか?」

「そうですよ」

「ただの肌触りのいい毛玉だぞ?」

「いいえ、違います!!」

 サーイさんの言葉に俺は全力で首を振る。

 ただの柔らかいモフモフでは片付けられない価値がここにある。

「俺にはこいつが札束に見える……ッ」

「モフモフしながらとんでもない発言すんなよー……」

 俺の涙を受け止めたいもむしねこは、やはり何の感情も映さない顔で俺を見つめてくる。

 もしや俺のために売られてくれるのか?

 そんな慈悲を勝手に感じていると、どこにあるのかわからない口から、俺の顔面に向かって大量の糸を吐き出した。

「うわっ」

 ネバついた白い糸を顔面に浴びて慌てていると、手元から至高の感触が一瞬にして消える。

「ああー、ねこちゃん行っちゃったー」

 子供たちの残念がる声と、サーイさんの慌てた声が響いている中、一生懸命顔についていた糸をぬぐいとる。

 手元に残された白い糸と、天井からぶら下がる白い糸を見比べて、これは一体幾らくらいで売買できるのかと、そんなことを思う。

「その糸、加工しなきゃ売れねぇぞ?」

 俺の思考を読んだサーイさんの言葉に、やる気をみなぎらせる。

「加工すりゃ、売れるんですね!?」

 俺の勢いに押されたサーイさんは、この後めんどくさそうにしながらも、糸の加工法と、取引できそうなお店のアテを教えてくれた。

 転んでもただでは起きない。

 これは俺のモットーである。



 こうして、アキのマガリ孤児院での奮闘はまだまだ続くのであった。


 終わり

NEJIN

同人漫画『NEJIN』の連載ページ。 毎月二回、定期更新予定。 ※本作品は一部グロテスクな表現が含まれますのでご注意ください

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